コンセプト

CONCEPT

廃瓶から生み出される炎の芸術

物資不足の戦後、駐留米軍から廃棄された瓶から琉球ガラスは生まれました。
米軍人が使用したコーラやビールなどのガラス瓶を再生し、彼ら向けにパンチボールセットやワイングラスなどを作ったのが始まりで本国への土産品として需要が高まり、脚光を浴びるように。
1972年の本土復帰後は県外から訪れる観光客向けにグラスや花瓶などが作られるようになり観光土産として注目されるようになりました。

時代の変化と共に大量に生産できる原料ガラスが使われるようになった1980年代、時代に逆行するかのように稲嶺盛吉は、廃瓶と宙吹き製法にこだわり「宙吹きガラス工房 虹」を設立しました。

コーラやビール、酒瓶などを原料とする廃ガラスの色は6種類のみ。冷めやすく成形しにくいという職人泣かせの原料。それでも「廃瓶がもたらすぬくもりは、何ものにも変えがたい魅力がある」と廃瓶の入手が難しくなった今もこだわり続けています。
廃瓶のガラスは不純物が多く、気泡が入ってしまうため当初は不良品として返品されることもありました。
気泡を取り除こうと試行錯誤を繰り返すうちに「取り除くことができないのであれば、生かせばいい」と逆転の発想にたどり着き、誕生したのが「泡ガラス」です。

当時、泡ガラスはB級品扱いで「稲嶺盛吉は頭がおかしくなったのでは」とささやかれることも。
逆風が吹き荒れても諦めず、泡を際立たせるために米ぬかを混ぜて泡グラスづくりに没頭する日々。作っても売れない苦しい日々が過ぎていく中「これまでにない発想ですばらしい」という声が寄せられ京都から展示会の誘いがありました。不安を抱えながら開催した展示会では、出展作が完売。会場で購入できなかった人から多くの注文が寄せられました。

以来、脚光を浴びた稲嶺盛吉は1994年に「現代の名工」を受賞
日本のみならず、イタリア、モナコ、中国でも注目され世界に琉球稲嶺ガラスを知らしめました。
琉球ガラスの伝統技法と独創的な発想を掛け合わせた琉球稲嶺ガラスは、ガラスと陶器の質感を融合させた唯一無二の世界観を作り出します。

備長炭やカレー粉、珊瑚土など、ガラスとは無縁な素材とのコラボ。固定観念を崩す自由奔放な発想と同じく、ガラスたち自然な流れを自由なままに映し出す稲嶺ガラス。

妥協なしのものづくりへの挑戦は、二代目盛一郎に受け継がれています。